「父親」と呼ばれる存在になり、身の引き締まる思いをした話(中編)
(前編はこちらから)
分娩室への入室が認められたのは、まだ午前10時半頃だったと思う。繰り返される陣痛で妻はナーバスになっていた。テニスボールを妻のお尻に押し当てる事で、痛みが少しでも和らぐとの事で、陣痛が来るたびにボールを押し当てる行為を繰り返した。
しかし、情けない話だが、私は連日の長時間労働とそれに伴う睡眠不足で疲弊していた。室内には椅子が無く、助産師さんが何度か出入りしていたものの、気づいてくれなかったのか、椅子を出していただけず、ずっと中腰を強いられた。そうなると疲労がピークに達し、ウトウトする事もしばしば。睡魔に負けるたびに妻からアタマをはたかれた(苦笑)。
そして、妻が暑いというので、部屋は冷房がかかっていた。なんでも、出産時には体温が上がるようで、助産師さんたちも妻の要望をこともなげに聞き入れ、部屋の設定温度を下げていた。私は疲労や睡魔に加え、寒さとも闘わなければならず、本当にきつかった。
しかし、妻はもっと苦しい思いをしているので頑張らねば。そう思いながら、陣痛の間隔が狭まる瞬間を待っていたが、状況が変わる事なく無情にも時間が過ぎていく。
妻もナーバスになっており、その度に担当医の先生が様子を見に来てくださり、心を落ち着けていた。ただ、昼になり、夕方になり、夜になり…流石に心が落ち着かなくなってきたようだ。
加えて、担当医の先生も勤務時間を終えて帰られた。勤務体制の都合上、仕方ないのだが、妻の不安が手に取るように伝わってきた。
陣痛が進まない時には促進剤を投与するという手段はある。ただ、注射による投薬である訳で、この病院では医療スタッフの勤務体制の関係上、日祝日に投与することは基本的にないとの事。
「明日ですかね」
助産師さんが言う。時刻は午後10時を周ろうとしていた。あまりにも進展がないので、今日は店じまい、っていうわけだ。
ただ、陣痛は金曜日から続いている。体力も消耗しているのに、このうえ月曜日まで持ち越しとなると、本当に妻の身が保つのか不安で仕方がない。このままではマズいと感じた妻は、ついに助産師さんに訴えた。
「促進剤を打たせてもらえないでしょうか!」
(後編に続く)
「父親」と呼ばれる存在になり、身の引き締まる思いをした話(前編)
少し前の話になりますが、2024年10月14日、私caldera1988に第一子となる男児が誕生しました。多忙につき、ご報告の機会を設けることが出来ませんでしたが、少し落ち着きましたので、ここにご報告させていただきます。
妻が里帰り出産をする事にしたので、実を言うと9月下旬から11月中旬にかけて、夫婦で義実家に住まわせてもらっていた。10月の予定日を控え、出産の時を待っていたのだ。10月11日(金)に陣痛が起きたようで、その日の夜に入院したとの報せを受ける。長い闘いの始まりだ。
私は10月にイレギュラーに仕事を抱え、毎日帰りが遅く、土曜日の祝日も働き、休みは日曜日しかなかった。妻が入院した日も、帰宅できたのは22時過ぎており、着替えなどの荷物は義父母に持っていってもらっていた。
翌12日(土)も進展なく、さぞかし妻は大変だったであろう。そして13日(日)の朝に分娩室に入ったという連絡が入る。私も休みで身体が空いていたし、「いよいよか!」と喜び勇んで病院に行ったけど、これが完全に私の早合点であった。
分娩室に入れてもらい、久しぶりに妻と会えたが、産まれそうな雰囲気でもなかった。なんでも、陣痛の間隔が6〜7分程度で来ており、この間隔が狭まってから出産が近づくようで、本当はまだ行ってはいけなかったみたい。
とりあえず、陣痛の痛みを和らげるべく、陣痛が来る度に、妻のお尻のあたりをテニスボールで押し当てる。まぁ、三連休の中日で、病院も通常よりスタッフが少なく、その割に出産を控えた方が多かったので、病院側も正直なところ、あまり妻に構っていられる状況でも無かったようだ。なので、私が早い段階で妻のサポートに入ったのは、病院側にとっても都合が良かったようだ。
あとは陣痛の間隔が狭まるの待って、出産の時を迎えるだけだ。そう信じて、妻のお尻にテニスボールを押し当てていた。しかし、ここまでは序章に過ぎず、ここからが本当の長く険しい闘いの始まりだったのだ。
(後半に続く)
「周りで何が流行しているか」に少しは関心を向けないといけないよね、って思った話
先日、こんなニュースを見た。
NewJeans 所属事務所「ADOR」との契約解除を発表「要求に応じた是正は全く行われていない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
これを連日、報道番組で取り上げていた事に対して違和感を覚えた(ワイドショーでもあるまいし)ことはさておき、恥ずかしながら私は彼女たちの事を知らなかったので、ひとつの学びとなった。
彼女たちは韓国のガールズグループで、どうやら世界的に人気であるようだ(そうなんだよね?)。
妻のいとこの旦那さんも彼女たちのファンで、ライブにも行った事があるらしい。家庭内で「NewJeansおじさん」と呼ばれていると聞いて「いや、めっちゃディスってるやん(笑)」なんて思っていたけど、そうでは無くて、そういう言葉(造語)があるみたいだね。彼女たちに魅了された中高年の男性ファンの事を 「NewJeansおじさん」って呼ぶらしい。それも全く知らなかった。ちなみに旦那さんは40代半ばなので、まぁ、中高年世代に当てはまるのか。
しかし、中高年世代でありながら、ポップスのトレンドを掴んでいる旦那さんの感度の高さよ。対照的に、その旦那さんよりも10歳近く若いにも拘らず、彼女たちのことを全く知らない私の感度の鈍さたるや(苦笑)。
その感度の高さに尊敬…とまで言うと大袈裟なのだろうが、素直に見習いたいね。別に「Newjeansおじさん」と呼ばれて良い気はしないと思うが、今の私がこのまま歳を重ねれば、流行に疎い「ただのオジさん」になりかねない。日々の忙しさに忙殺されているのも確かだが、そんな日常に流されず、周りに向けてアンテナを張る。そんな毎日を過ごしていきたいと思う。
あと、冒頭のニュースはざっくり言うと、大人たちの屁の突っ張り合いに、まだ成人もしていない5人の少女たちが巻き込まれたという話。彼女たちが恩師と慕う方と、再び明るく仕事が出来る日を取り戻す事を願うばかりである。
この社会の不都合な真実について考えてみた話
お久しぶりです。この1ヶ月、仕事とプライベートで大きな変化があり、まったくブログに触れる事が出来ませんでした。特に仕事の変化は凄まじく、10月は土曜日と祝日は全て出社(汗)。振替休日なんて取れませんでした。会社に振替休日を買い取ってもらったので、給料は増えましたが、どうにもならないくらい消耗しきってます。
今週に入って書きかけの記事をようやくアップ出来ましたが、全然反響がないですね(泣)。書き始めた時は気合い入っていたのだが。やはり継続が大事だし、書く習慣に穴を開けてはいけませんね。ぼちぼち再開しようと思います。
10月は国政でも大きな動きがあり、始動したばかりの新政権があっさり解散し、総選挙が行われたが、「政治とカネ」の問題に対し、これまで解決の道筋を提示して来なかった政権与党が大幅に議席を減らした。
その一方で、野党第一党が裏金問題に対する批判を徹底して行い、議席増に成功した。 普段は「批判ばかりして対案を提示しない」と揶揄されるのだが、今回ばかりは国民の政権与党に対する不信感がピークに達したのだろう。
今回、特筆すべきは国民民主党が議席をそれまでの7議席から4倍となる28議席に増やす躍進を遂げた事だ。今回「手取りを増やす」「103万の壁を払う」を公約に掲げたところ、支持を一気に集め、国政におけるキャスティングボートを握る存在として注目が集まるようになった。
政局において無視できない存在になっているわけだが、ここの党首はかねてから「対決より解決」を掲げており、現在のキャスティングボートを握りつつある段階においても、他の党とは局面に応じて協調も対立もしながら政策協議を行うという立場を明確にしている。
そんな党首が一部週刊誌の報道に対し、記者会見をするというので、何かと思えば不倫報道だというではないか。地元に戻った際に、元グラビアアイドルという39歳の女性と逢瀬を重ねていたとの事。
39歳で元グラビアアイドルなら、活躍していた時期が私の高校生〜大学生の頃に被るはずだ。その当時にお世話になった事があるかを確かめたくて、お相手の女性の名前を調べてみたのだが、全く知らない人だった。うーん。
昨今、不倫報道が出てしまうと激烈に非難される。芸能人の場合、不倫が明るみになると、それで表舞台から退場し、中々戻って来れなくなる。ところが今回の報道に際し、驚くことにこの党首に対する擁護というかエールが散見された。
公約に掲げた「手取りを増やす」。根本的に達成するには、経済を回し、日本全体の経済成長を実現させて国民一人当たりの収入を増やすことになるが、実現には時間がかかる。そうであれば、我々の給料から引かれるお金…税金を減らすことにフォーカスする。それが「103万の壁」の話だ。
年収が103万円を超えると所得税がかかる。この壁を撤廃して我々が働ける分働いて稼いだ収入を確保出来るよう、制度改正を行おう、という話なのである。雇用主の立場からしても、最低賃金が上昇傾向にあるので、労働者の働き控えを解消することにつながるので、103万の壁を撤廃する事に意義がある。
一方で、財務省はこの壁が撤廃されると7.6兆円の税収減になると試算。財源の確保をどうすれば良いか不明瞭で実現性が低い、と懸念の声を上げた。マスコミもこれに同調する記事を配信。これに国民の一部が反発した。選挙で選ばれた訳でない人たちがどうして特定の国会議員や政党の掲げる政策に口出しできるのか、という理屈だ。
結局のところ国を動かすには、お金(予算)をどう動かすかに依るところが大きく、予算を差配できるのは財務省。国会議員が国を変えようとしても限界があり、選挙で投票することや周囲に投票を呼びかける事も意味がない…と言ってはならないが、本質的には意義に乏しいのである。
ただ、いくら本質では意義に乏しいと言っても、それがあからさまになっては気分は良くないだろう。加えて、この国は所謂「失われた30年」を経験している。彼らにお金を任せて良いことが無かったのだ。それなのに、今回彼らが税収減を主張した事で、これまで国民から徴収した税金はどんな事に使われているのか、ロクなことに使われてないのではないか、もっと言えば私服を肥やしているのではないか。そんな疑念が世の中にうごめいているように感じられる。
今回の報道で、この党首に向けられたエールに「負けるな」という言葉が見られた。財務省に負けるなというメッセージだ。「国民の敵たる財務省」というレッテルが貼られ「庶民の救世主となりうる国民民主党党首」との対立の構図が浮き彫りになった。そもそも今回の報道自体が財務省の差金ではないか、なんて声も聞く。その議論は根拠のない事だし、陰謀論の趣が強く、流石に私は付き合えないが、それだけ彼らに信用が無いという事なのだろう。
権限が集中し赴くままに富める者がいれば、いつまでも豊かになれず先立つ不安から逃れられない者もいる。その両者の間に横たわる分断を今回の不倫女が図らずも詳らかにしたのだ。
この分断をそのままにしておいて良いはずはない。党首には是非とも、「対決より解決」のもと、活発な政策論議が行われ、少しでも現状を是正する事につながることを期待したい。
多くの人は不貞行為そのものについて倫理観にもとると感じている。それでもエールを贈る人達からすれば、今その話をしている場合ではないし、自分達の暮らしを良くするという政治姿勢を支持したいのだ。藁をもすがるってこういう事なんだろうな。
そんなわけで、党首は引き続き党首でいられるようであるが、不倫相手の今後はどうなるのだろう。今回の件で、表舞台から消えてしまったようである。もし、党首が今後政治家として成功をおさめるのであれば、どこかの写真週刊誌に交際当時の出来事を赤裸々に語ったグラビア記事なんかが掲載されたりするのかなぁ、なんて思ったりする。我ながらしょうもない事を考えるね。そんな物が世に出たところで私は見ないけど。
そんな事をされたくないのであれば、党首は今後、陰ながらでも彼女をお世話しなければいけないよな、って思う。まぁ、余計なお世話か。
ともあれ、人生は続く。我々国民と不倫女の今後の人生に幸あれ!
ブラック企業とは「成長痛を繰り返す企業」であるという定義をぶち上げた話
——はたらいて、嘆こう——
気づいてしまった、この社会の真実に。
触れてしまった、この世界の闇に。
突然だが、貴方は自身の人生について、自分や家族中心ではなく、会社中心になってしまっている、と思ってないだろうか。今回の話は、そんな貴方に向けて書いたものである
私が思うに、会社中心の人生になってしまっていると感じ、かつ、月20時間以上のサービス残業を行っているのであれば、ブラックな職場環境に身を置いていると言って良いだろう。そうであるならば、何らかのアクションを起こすのが望ましい。
ただ、すぐに転職活動を行おうというのであれば注意が必要だ。貴方の労働力を買ってくれる会社は、大体どこも似たり寄ったりで、職場を変えたところで会社中心の人生から逃れられない。
何のために働くのかと問えば、私なら金の為と答える。で、その金はどこから捻出されるのかというと、会社の売上や利益である。企業は従業員を繋ぎ止めるために昇給を行なってくれるのだが、それを大義名分として「増収増益」を掲げてくる。それ自体は自然なことだ。
しかし、上記のプロセスは我々にとって不都合な現実を押し付けてくる。
私が最近知った言葉に人工(にんく)というものがある。 人工とは、建設業において現場で働く職人や作業員が1日で作業できる仕事量の単位との事であるらしい。従業員が1日(1日に限らず、1時間とか1週間とかでも良いのだが)あたりにかかる工数を算定し、それを基に業務を組み立てれば、無理なく無駄なく仕事が出来るだろう。
この言葉を知って、それを実践されている企業もある。この書籍のことを思い出した。
一時期、話題になったので貴方もご存知かもしれない。釈迦に説法を承知で解説すると、この書籍の著者は京都で「佰食屋」というレストランを経営されており、1日百食限定で牛ステーキ丼を提供している。
特徴として
・核となる商品(牛ステーキ丼)を決める
・営業時間をランチに限定する
・100食を販売するというゴールを設定する
ゴールが決まっているから、必要な人数や工数が分かるし、ゴールに到達したら営業は終了するので、長時間労働に至らず、従業員満足度が上がる。結果的に従業員のモチベーション向上につながり、客へのサービス向上が期待できる。
例えば、ディナーの時間も営業すれば、更なる売り上げも見込める。アルコールを提供すれば客単価が上がるからだ。でも、私のようなのんべえが来たら、すぐに営業を終えることができない。長時間労働や深夜労働につながりかねないし、光熱費などの経費も余分にかかる。
どのようにして利益を確保するかという観点から、働き方を設定する。人工という言葉を意識すれば、それが可能となるのだ。
しかし、現実にそれを実践している企業は少ないのではないか。
役所の幹部と話すとよく分かるけど、彼らはとにかく新規事業が大好き。とにかく何か始めたくてウズウズしてる。
— キキ (@kiki_koumuin) 2023年3月7日
そこに「誰が」「どのくらい時間をかけるか」といった工数の概念は無い。既存事業をスクラップする気も無い。だから現場だけが無限に疲弊していく。
このポストは公務員の働き方に対するものだか。でも、民間企業だって大差ない。新規事業、新規開拓、新規取扱、新規、新規、新規…売上の拡大、規模の拡大を追求するからだ。売上が上がれば利益もついてくるだろうという発想なのだ。
ちなみに人工という言葉もこの方のポストで知ったのだが、当該ポストを探したものの見つけられなかった。
とにかく、「何か新しい事をやろう」的な発信をすれば評価される。そういう発信をする人に限って、工数について深く考えないから、引用ポストにあるように、仕事は無限に増えていく。その時にキーワードとなるのは「成長」という言葉だ。
新規事業や新規顧客を「成長」と紐づけることで、それで業務が増えようが、残業が増えようが、企業や従業員個人の成長のためには必要なプロセスだと正当化される。成長痛のようなものとして扱われるのだ。
その成長の見返りとして、時に人員の補充があったりもするのだが、補充がかかれば、また別に新しいプロジェクトとやらを始めようとする。業務は増え続け、私たちは増える業務量に一生追いつくことができない。
それも売上拡大と企業の成長が全てだからだ。経費もかかるはずだが、一番の経費であるはずの人件費について、色々と忖度が働きサービス残業が横行する。それで企業は利益を確保出来るのだ。
確保した利益をもとに定期昇給が行われる。過少申告した労働時間と業務のパフォーマンスを判断材料に、個々の労働者にも出世の道も開かれる(というか、馬鹿正直に申告したら出世の道が閉ざされる、という表現が正しいだろう)。出世すれば役割手当や役職手当も増えるだろう。
でも、それでは働いた時間分の残業代は(恐らく)補填出来ない。
働いた時間分、自分の時間や家族との時間は失われるのだが、それと引き換えに貴方は成長しているはずだ、という理屈なのだ。
貴方の成長が企業の成長につながる
貴方の成長が企業の財産
冗談ではない。自らの地位を守るために、現状に我慢する事の何が成長なのか。確かに企業は成長しているのかもしれないが、その為に私たちはどれほどの物を失えば良いのだろう。
成長し続ける事は、成長痛を繰り返すことに結びつく。そうした成長痛を繰り返し、従業員に我慢を強いる企業を、私はブラック企業と定義する。いや、極端な事を言っているのは分かっているのだが、私が言いたいのは、それだけ「成長」という言葉には怪しさが秘められている。決してポジティブな言葉ではないのだ。
多くの企業は成長を志向している。貴方が職を変えようとも会社中心の人生から逃れられないのは、転職先の企業も成長を追い求めるべき理想として掲げている可能性が高いからだ。
それを踏まえて貴方は人生や仕事のあり方を考えたほうが良いと思うし、私もそうしなければならない。人生は厳しい。
人は働いて貧しくなることに気づいてしまった話
——はたらいて、嘆こう——
気づいてしまった、この社会の真実に。
触れてしまった、この世界の闇に。
人は働けば働くほど、暮らしが貧しくなってしまう。別に貧乏になると言っているのではない。確かに給料は毎月決まった時間に払われるし、特に無駄遣いをすることもないので、お金は貯まっていない訳ではない(サービス残業の話についてはここでは触れない)。
しかし長時間労働でプライベートの時間を削られると自分への投資もままならない。無駄金を使わない代わりに、必要な買い物も出来ないのだ。
そもそも、今の自分にとって必要なものって何?
時間をかけて、じっくりと考えれば、思い付きそうなものであるが、いちいち考えるのも面倒になる。
仕事が終わらん。切り上げて自宅に帰る。ご飯食べる。風呂に入る。寝る。起きる。会社に向かう。仕事が終わらん。切り上げて…このサイクルを延々と繰り返す日常。
妻が美味しい食事を作ってくれるから、まだ良い方だ。これで自炊してたら、自力でご飯を作れる自信がないので、上記のサイクルから「ご飯食べる」が抜け落ちてしまう。いや、いらないのは「会社に向かう」なんだけど(苦笑)。
妻との時間をゆっくり取ることも出来ない。早く寝なければ、すぐに朝が来るからだ。せめて妻が見ている夢を、私も見ることが出来れば、一緒に過ごす時間を長く感じることが出来るのだろうけれどね。
なぜ働くのか。お金を稼ぐために。そして、豊かになるために。でも、「お金を稼ぐ」と「豊かになる」はノットイコールだった。「全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と日本国憲法第25条で規定されているが、雇用労働者として働けば働くほど、健康を損なうリスクが高まり、大して文化的でもない生活をおくっている。それを「貧しくなる」と言わずして何と言うのか。
30代も半ばになって、最近ようやくその事に気づく体たらく。如何にヌルく生きていたんだろうな、と思ってしまう。一方でこうも思う。ヌルく生きていくことが出来たとも。願わくば、このままヌルく生きていたかったよ。
ビジネスの世界に身を置けば、上長に取り入ること、根回しや調整を行えるようになること、いわゆる“修羅場経験“を積むこと等が立身出世に結びついていく、なんて話をよく聞く。世間では、それを“成長“というのかもしれない。
でも、そのような“成長“を通して手に入れたものだって、別に墓場まで持っていける訳では無いのだ。
働くことの目的は金を稼ぐこと。逆に言えば金を稼ぐ手段として働いているのだ。働くことで成長する、階級・役職を上げる、やり甲斐を手に入れる…そういうものは働くことの副産物でしかない。求めるのは自由だけど、行き過ぎると目的と手段を履き違える事になると考える。
厄介なのは、およそ使用者というのは、目的と手段を履き違えた者達に目をかける事だ。労働者達に「仕事は仕事」と割り切られるのを好まないので、そうならないように色々な仕掛けをしてくる(その仕掛けについては、別の機会で話しましょう)。そんな状況に息が詰まりそうになった場合は、一歩引いてやり過ごすことが肝心だ。
自らの暮らしを豊かにする為には、何が必要なのかを常に自問自答して行く。結論を出せば自ずと、残りの人生で自分の進むべき道が見えてくるはずだ。
この10月から変わる事について、気の向くままに語ってみる話(その3)
10月に入った。今年度も早いもので、下半期に入ったことになる。今月から色々な変化があるので、このブログでもいくつか取り上げようと思う。
過去記事はこちら‼︎
↓ ↓ ↓
(その1)caldera1988.hatenablog.com
(その2)caldera1988.hatenablog.com
今回は東京都渋谷区で路上飲酒が禁止された事について。
※渋谷区公式ホームページより
https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/shisaku/jorei-toshin/sbykankyo.html
この話題は全国ネットのニュース番組でも取り上げれていた。はっきり言えば、普通にローカルな話題なんだけど、ハロウィンの時期に数々の乱暴行為がなされ、逮捕者が出るニュースを目にするのは、もはや毎年の風物詩だ。そういう意味では、今回の禁止条例は、全国ニュースで取り上げるだけのニーズがあるのだろう。
今までも特定の時期(年末年始、ハロウィン)に禁止はされていたが、今回通年で禁止されるとのことで、普段から路上飲酒をきっかけに何某かのトラブルが起こっていたのだろうな、と思ってしまう。どうなのだろう。
個人的には路上で酒を飲みたい、飲もうという感覚があまり分からない。私自身、酒を飲むのは好きなのだけど、あくまで自宅や飲食店で飲むものだ。
そうは言っても、公共の場で酒を全く飲まない、という訳でもない。仕事で出張する際、帰りの新幹線でビールを飲むのは自分にとって最も心落ち着く時間のひとつである。スポーツ観戦や音楽フェスのイベントに行けば、会場でアルコールを入れて盛り上がるのは私だけではないはずだ。
つまり、決して屋外で酒を飲まないわけではないのだが、あくまでイベントにかこつけているだけであって、何も無い時に飲むわけではない。逆に何故、イベント時には飲むのかを考えてみると、キーワードは「非日常」になるのかな、と考える。
最近こそ行けてないものの、私はサッカー観戦が趣味である。スタジアムに行けば、普段の生活(仕事行って、家に帰ってメシ食って寝るだけの日常)では得難い刺激を感じて、非日常的な空間に身を置く感覚になる。そうなると、普段働かせている自制が効かなくなって「じゃあ、呑むか」となるのだ。車で行かざるを得なかった場合、呑めないのがシンドいとも感じてしまう(苦笑)。
そこで、私はふと思った。
「渋谷って、非日常なんじゃね?」
私は、地方都市に住んでおり、特に社会に出てからは基本的に田舎と言われる所に住んでいる。夜になれば中心駅の前でも閑散としている。
私は人生で渋谷に行ったことが無いのだが、夜にテレビでニュースを視れば、定点カメラで渋谷の街の様子が放映される。もう深夜0時になるというのに、多くの人が歩いている。大都会って感じだ。
私が人生に足を踏み入れたことのある「大都会」は梅田や東京駅〜有楽町〜銀座くらいのものだが、街中を歩いていると、確かに非日常的な空間にいるように感じられたものだ。特別なイベントがあるわけではないが、多くの人が行き交う中で、ちょっとしたイベントは発生している。そんなものが複合的に折り重なって行くことで、縁日というか、お祭りの会場に出向いたかのような錯覚をするのだ。
渋谷も恐らくそんな感じで、街行く人達の賑わいが、非日常感を演出する装置になるのだろう。普段から都会に住んでいれば、なんて事のないものなのかもしれないが、自分のような田舎者は、普段の生活で感じることの出来ない空気を吸って、テンションが上がってしまうのだろう。
そう考えれば、渋谷の街中で路上飲酒をしてしまう人の心理が少し理解出来るような気がする。まぁ、でも行儀は良くないので、今回の禁止条例は妥当だとは思う。そもそも呑みたくなったら、空いてる居酒屋に行けば良いだけの話なんだよね。都会なのだからそこら中にお店はあるだろうし。
お酒はマナーを守って楽しく飲むものだから。トラブルなんて起こすものではない(自戒を込めて)。



